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2007年9月の記事

2007年9月24日 (月)

俳句を楽しむ(江戸の俳人・俳句の作り方12)

今日は江戸時代の俳人、芭蕉・蕪村・一茶・良寛を取り上げます。

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① 松尾芭蕉は、江戸前期(16441694)の俳人。 (芭蕉の句は前回取り上げましたので、今日は省略します) 芭蕉・蕪村・一茶などの俳句とその解説は、「中学入試の俳句と短歌」に詳述されていますので、こちらをクリックください。

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② 与謝蕪村は、江戸中期(17161784)の俳人、俳画の創始者であって水墨山水画に俳句をつける、写実的な絵画的な発句を得意としました。 鳥になったような耳をもち、カメラのズームのような目をもって、繊細かつ大胆な句を詠みました。 蕪村の有名な句と、その感動点を下記します。 

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 菜の花や月は東に日は西に(広~い菜の花畑、春の一日が暮れゆくこうとしている。黄色い海の東の地平には大きな夕月が上り始め、西の空には夕日が没しようとしている。) 

 朝顔や一輪深き淵の色 (夏の朝での、奥深き色のあざやか)

 愁(うれ)ひつつ岡にのぼれば花いばら (春の野原のひらけた様子)

 五月雨や大河を前に家二軒 (梅雨の大雨の恐ろしさ)

 夏河をこすうれしさよ手にぞうり (盛夏での心地よさ)

 春雨やものがたりゆく蓑と傘 (春雨でのいたわるような穏やかさ)

 春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな (うららかな春の日ののどかさ)

 不二ひとつうづみ残して若葉かな (初夏の雄大な光景)

 山は暮(く)れて野はたそがれのすすきかな (静かで寂しい秋の夕暮れ)

 夕立や草葉(くさば)をつかむむら雀 (初夏の夕立の激しさ)

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 句の詳細解説は「中学入試の俳句と短歌」をご参照ください。

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③ 小林一茶は、江戸後期(17631828)の俳諧人。幼少期に義母に育てられた家庭環境があって、その自虐的な精神からの句風をはじめとして、風土と共に生きる百姓的なものが多い。 平易かつ素朴な句の運びになっている。 一茶の句を下記します。

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 雀の子そこのあけそこのけお馬が通る (のどかな春の日、どこからか舞い下りてきた雀の子が、道の真ん中で遊んでいる。 「向こうからお馬がやって来るよ、危ないよ」

 われと来て遊べや親のないすずめ (ひとりぼっちの雀よ、来なさい)

 やれ打つなはえが手をする足をする (はえを助けてやってくれ)

 やせ負けるな一茶これにあり (蛙の戦いを応援してあげよう)

 寝がへりをするぞそこのけきりぎりす (夏の夜、寝返りするからのいてくれ)

 名月(めいげつ)をとってくれろと泣く子かな (名月に我が子がいと可愛い)

 牛の子が旅に立つなり秋の雨 (秋雨:しめやかに売られていく)

 うまさ()うながふうは()りふうは()りと (綿菓子のよう)

 すず風や力いっぱいきりぎりす (夏の終わりに良き音色)

 ともかくもあなたまかせの年の暮 (阿弥陀如来様のお導きで新年を迎えたい)

 鳴く猫に赤ん目をして手毬かな (側の猫にあかんべぇする女の子)

 椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな (椋鳥は田舎者の意味)

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     良寛和尚は、江戸時代(17581831)の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

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 われ喚(よび)て故郷へ行くや夜の雁 (仏道修行僧に帰郷を誘う雁がいる)

 裏を見せ表を見せて散る紅葉 (良寛臨終時に貞心尼に言ったとされる言葉)

 倒るれば倒るるままの庭の草 (これも晩年病床での句)

 散る桜残る桜も散る桜  (これも良寛辞世の句)

 新池や蛙とびこむ音もなし (芭蕉の句への返句)

 焚くほどは風がもて来る落ち葉かな 

 青嵐吸い物は白牡丹 (青嵐で白牡丹の花びらがお椀へ)

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<俳句の作り方 12> 俳句上達へのコツ

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     俳句の観賞:句を理解することよりも、句調の整え方、ことばや仮名づかい、切れ字の使い方などを多く見ること。 分からない句は詠み飛ばす、心に響く句があれば繰り返し詠んで暗誦します。

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     客観的な表現を使う:「海へと急ぐ」(主観的表現)→「海へと走る」(客観的表現)
「干物を焼きて」(主観的表現)→「干物を反らせて」(客観的表現)
俳句の根源である感動は主観によって起こるもの、従って主観が多くなりますが、そこを言葉でもって客観的に表現すると、詠みやすい句になるのです。

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     句材の捕らえ方:花や樹木、景色、建物などの静の句材ではなく、昆虫、動物、乗物、人間など動きのあるもの動の句材のほうが格段に作りやすいのです。 美しい静の景色、例えば山の頂上からの眺望の句のときには、日の出とか入日、雲の変化、麓の里の家、立ち上る煙などを詠むと面白くなります。

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     季語の本質を知る:適切な季語を使うことです。 オンライン歳時記「わたしの歳時記」 をクリックしてみてください。 「季節」「生活・行事」「衣・食」などを順次入力していくと、適切な季語を見つけることができます。 その季語の意味、使い方も書かれていますので参考になります。 季語が見つかかったら、それが句に適切であるかチェックしてください。 他の文に憑き過ぎていないか、説明し過ぎにならないかが大切です。

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⑤ 継続は力なり:一日1件俳句を作ることをお勧めします。 毎日の生活にも張りがでてきます、楽しくなることでしょう。 作った俳句を、Excelにでも登録し分類整理ができるようにしておくと便利です。 後で生活への活用もできますし、句の修正・向上もできていきます。 頑張ってやってみてください。

2007年9月18日 (火)

俳句を楽しむ(芭蕉の句より・作り方11)

有名な俳人は、松尾芭蕉・小林一茶・正岡子規・与謝蕪村・高浜虚子等多数いますが、今日は芭蕉の俳句についてです。まず代表作「古池や蛙飛び込む水の音」の俳句の深さをみてみましょう。 季語は「蛙」から「晩春」の「春」です。 そしてその時刻は、古池に蛙が飛び込み、その音と光った光景が綺麗に見えたのでしょうから、「夕方」であったろうと想像できます。 そして何に「感動」したかですが、「古池」と「蛙・水の音」が静と動の対比関係にあり、これが感動を呼び起こしています。 古池が不変で静かであるのに、蛙や水の音が無常に、「寂び」入れて聞こえたのでしょう。 芭蕉の句は、「侘び」と「寂び」同時に「軽み」のある句が多いといわれますが、この句にもそれらが入っていると思われます。  「侘び」「寂び」は、日本人固有の感性であり美徳であると云われます。 

「侘び」は、気落ちした様子、がっくりした様子、閑居な地で生活をする様子などです。 落胆や失意の中に感じる、深い感情や情緒、それから出てくる味わい深さといったものが「侘び」です。 芭蕉の句には、寂しさや悲しみ、諦観といったものが表された作品が多いといわれます。 その辺りをもった上で、芭蕉の句を詠んでいくとよいのでしょう。

もう一つの「寂び」ですが、これは「侘び」を更に発展させたものです。 賑やかな様子や豊かなもの、美しいものが閑寂になり、枯れて深いおもむきを表すのが「寂び」。 単に寂しい、悲しい、孤独だといったことではなく、深い豊かさを伴ってのものであるのが「寂び」なのです。 「侘び」とは、対を為すものと云えます。 賑やかな後の静けさ、 栄華繁栄の後の虚しさ、などといったところも「寂び」でありましょう。 以上から、簡単に言えば「侘び」と「寂び」の違いは、 「侘び」は人の感情の中、簡素の中に、清澄・閑寂な趣きを見出すもの。 そして物事の様子から寂しさや深いおもむきを感じるのが、古めかしく味わいのあるのが、もの静かで趣があるのが「寂び」ということになります。

「奥の細道」について、簡単に触れておきましょう。 松尾芭蕉 (1644~1694/11/28, 享年51歳) が、弟子の河合曾良をお供に、1689/5/16 に、江戸・深川の芭蕉庵を出発し、奥羽・北陸を巡って、10/4 に美濃・大垣へと到着するまでの、全行程:約2,400km、全日数:約150日間の紀行と俳句を「奥の細道」に記(しる)しました。 そして、その翌々年江戸に帰り、また、西国へと出発しましたが、途中に伊賀にも立ち寄り、1箇月後の11/28に大坂(旅宿・花屋)で、客死(急性腸炎?)してしまいました。 「奥の細道」では、訪問地訪問地で俳句が詠まれていますが、どれも見事なものばかりです。 訪問地各所の地元の人が句碑を建立したので、句碑が多数残されています。 

芭蕉発句全集  http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm には、芭蕉の俳句を地域別に、時期別にいろいろと分かりやすく整理し、句ごとに写真などもつけて解説してあります。 大変参考になります。 

われわれも旅行をするとき、一度芭蕉の句を見ておくと、よりよい旅情が掻き立てられることでしょう。

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<俳句の作り方10 上五の切り方> 

切れ字には「や」「かな」「けり」がやさしく、一般化していますが、芭蕉は切れ字を用いる時は、四十八字皆切れ字なり」といっています。 上五に季語をおいて切れ字に「や」を使用するといった形は戦前派。 最近はこのような韻文(詩、歌、賦などのように、文の句末に声調を整える韻字をおいて書かれた文章)は、少なくなり散文化(通常の文章で、内容や調子をもって詩体をなすもの)してきています。 しかも、この上五を一物と「や」でしめるのでなく、二物(2つの言葉)をおくようにもなってきているというのです。 ですが、参考文献の藤田湘子氏は、「上五には季語と‘や’をおき、下五の最後に‘名詞’をおいて締める 中七下五は季語に関係ないものにする」こと、この基本形をまずはマスターして欲しいと薦めています。 この形(No1)は、俳句らしい文体になりやすいからと云っています。

 例句 「さえずりや絶えず二三羽こぼれ飛び」(高浜虚子)

     「春の灯やかきたつれどもまた暗し」 (村上鬼城)

上記以外の形(No2)としては、「中七を‘や’で締め、下五に季語の‘名詞’をおいてくくる」といったやり方です。 

例句 「ふるさとの沼のにほひや蛇苺」 (水原秋桜子)

    「寄せ書きの灯を吹く風や雨蛙」 (渡辺水巴)

No1の形とNo2の形は前をひっくり返したものであるが、いずれも「や」の前の部分に俳句で必要な情景がでるようにしています。 No2の形は最後の締めの「名詞」が弱いので、その点前段の上五、中七での情景作り、人事イメージの作り方が重要になってきます。 まぁ以上は、古式豊かな俳句づくりの基本です。 余りこれらに捕らわれず、現代風散文で内容重視の俳句を作ってまいりましょう。 (ブログ作成者談)

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ブログの総目次は 下記をクリックしてご覧ください。

http://www.abcaiueo.com/

2007年9月10日 (月)

俳句を楽しむ(歳時記に変化・作り方10)

今回は、「日本人の生活の辞書である歳時記」についてお話しましょう。 (日本経済新聞7月10日夕刊より) 歳時記には、日本人の生活に関わる言葉を季節分類し、言葉の説明、俳句例など記載されています。 これには、日本人の生活、またその時代変化なども映し出されています。

 昨年末に角川文庫より、「歳時記全5巻」が発売されました。その大歳時記には「花粉症」「熱帯夜」「サーフィン」などの新たな季語が登場しました。 海外旅行関係では、「白夜」「氷河」などといった季語も加わりました。 その他、園芸ブームから「ハンカチの花」、文庫シリーズから「バレンタインデー」「冷やし中華」「熱中症」なども入りました。    これら一般的な歳時記では、季節区分が春夏秋冬と通季との5つに分類されていますが、その区分が立春・立夏、立秋、立冬で行われているため、季語が実際の季節にあっていない感じがします。 例えば、「七夕」「中元」「朝顔」は夏ではなく秋にされているし、 「広島忌」は夏だが、「長崎忌」は秋となっています。 「帰省」「朝顔市」「スイカ割り」は夏なのに、「盆」「朝顔」「スイカ」は秋であるとか、おかしな例が多くあります。 

角川書店の大歳時記は、歴史的経緯などで、このようになっていますが、現代俳句協会が8年前に出版した「現代俳句歳時記」では、この季節区分を月で分けるようにしました。 春夏秋冬を、3~5月、6~8月、9~11月、12月~2月としました。 このように、同協会は歳時記のあり方について新たな提案をしましたが、これには賛否両論があって、なかなか決着つきそうにありません。 「2月は寒いからといって冬にいれるのではなく、春を待つ気持ちの現われを込めるのがよいという考え方。 日本人の美意識を大切にしたいのだ。」との反対意見が多いのです。 どうでしょうか。

主な歳時記の出版図書:

<俳句の作り方10  季語の使い方>

俳句も川柳も短歌も、五七五を使っており同じような言葉の並びですが、俳句には五七五の決まりのほかに、切れ字とか、季語というものがあります。 (以下、学習研究社、藤田湘子著「20週俳句入門」を参考にして説明します)

「遠山に日の当たりたる枯野かな」(高浜虚子)の俳句の季語は「枯野かな」ですが、この季語からいろいろなことが連想されます。 「冬で寒くなり、野もすっかり枯れてしまった。 遠くの山には日が当たっているが、その山に通じる道のある枯野は、穂が残っているだけで、光を失って寒々としている。」という風に連想できるでありましょう。 このように季語からはその情景をいろいろと連想できるのです。

「一句一季語」が原則。 短い五七五の中で、季語を2つ置くのはもったいないことです。 季語1つで十分に情景を連想できるので、季語2つを置くのは無駄ということです。 「~~桜を散らす春の雨」では「桜」と「春」が「季重なり」であり好ましくありません。 「水打って涼しき~~」の句においても、「水」と「涼しき」が「季重なり」になっています。 情景に最もふさわしい季語を準備して、「季重なり」を防ぐようにするのが、俳句の方法です。 季語は歳時記などで確認できますが、とりあえず季節感のある言葉は、重ねて使わないように心がけたいものです。

季語のある句を「有季俳句」といいます。 それに対して、季語のない「無季俳句」もあります。 でありますが、「無季俳句」は成功がむずかしいと云われます。 季語があると、季語でもっていろいろと情景を連想させることができ、作りやすいからで、「有季俳句」が一般的です。 

以上は、俳句の精神です。 余り季語にとらわれますと俳句ができなくなりますので、初めのうちはそうきつく考えず、ざっくばらんに作っていきましょう。 慣れてくると次第にその精神を取り入れて行けると思います。 まずは毎日なにかに感動して綴ることから始めましょう。

2007年9月 3日 (月)

俳句を楽しむ(虚空で思う・作り方9)

前回から、日本経済新聞の8月の天声人語に掲載されていた俳人、森澄雄さんを紹介しています。森さんは俳句集を多数出版していますが、それぞれにテーマをもって纏めているそうです。 俳句集「淡海」では近江と若狭の作品をまとめ、「雪櫟」では戦後の貧窮さを、「花眼」では父親の死を契機にしての人間の生きている時間についてを、「浮鷗」では人間の浮かぶ空間をと 主題を詠んで纏めてきています。 近江に通いながら俳句の更なる世界はどこに求めるかを思考しました。 それで「時間も空間も所詮人間の所作に過ぎない、それを越えればすべて虚空燦々である・・・」と思い始め、そしてその極楽情緒の思いを俳句集「鯉素」にまとめました。(「鯉魚尺素(手紙)」の略であり、コイノモト、「恋の素」にかけて、鯉素とした)  「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」(根拠のない数多くのゆったりとしたお話は、暖かいお湯のようなものである) 「炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島」(岐阜羽島に行こうとしたとき、僧侶も一緒の電車に乗ったのであろうか) などなどがその俳句集にあります。 後にこの「鯉素」が読売文学賞を受賞しました。 わずか17字の俳句で、人生を含めた虚空を描ける。 俳句も真剣なお遊びであることが、認められたようで嬉しいと云っています。

森さんは今年米寿を迎えましたが、月に一度、句会をしているそうです。 提示された季題に基づいて自由につくっていくが、森さんは多いときは30句から40句つくってしまう。 多くの人は筆が止まってしまうのだが、森さんは頭を使わないから次々に出てくるといっています。 向こうにある大きな自然からそのまま句をもらったりで、ああだこうだとは考えないのだという。 自分の命を包んでいるもの、宇宙といってもいいし、虚空といってもよいが、その大きなものからもらう。 心に光が見えたのと同時に書く。 版画の棟方志功さんが板木を彫っている状態と同じで、向こうからやってくるといっています。

芭蕉さんは虚に浮かんだ実人生が見えていた。 波郷さんも虚空に浮かんだいのちがみえていた。 おおきな自然からそのまま句をもらい、頭を使わない、このお二人から俳句のすべてを学んだといっています。 老子の云う「無為自然」がいちばんよい。 俳諧はもともと大きな遊びであり、自由を楽しめる。 「おのれまたおのれに問うて春の闇」 第14句集「深泉」が近く出版されるそうです。

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<俳句の作り方9 表記と雅号>

俳句の表記(文体)は文語表現がいいし、歴史的仮名遣いが有利と思うが、(学習研究社出版・藤田湘子「20週俳句入門」より)そのようなことをいっていると誰も俳句をしようとしなくなる。 新仮名使いの世代ではそれなりに、新しい俳句の発想や表現を生み出すようになるかも知れない。 現に俵万智 なんていう人が出てきている。 依って、今は文語、歴史的仮名づかいは教養されていないのだが、10代、20代の俳句を志す若者達も結構、文語指向がつよく、かなり歴史的仮名づかいを習得している。 先に上げた森澄雄さんの文語調の俳句を3点みてみよう。

「除夜の妻白鳥のごと湯浴(ゆあ)みをり」 「大阪やけふよく晴れてうめもどき」 「妻がゐて夜長を言へりさう思う」 (いずれの句も森澄雄さん作)

それから 俳句の表記方法で注意をいただきたいことは、俳句は縦書きにすること、上から下まで空けずに(スペースを入れずに)書くものだということを知っておいてもらいたい。 間を空けると、リズムが途切れ、作者の気持ちが入ってこなくなってしまいます。 「俳句は一息の詩」であるということです。 参考ホームページ:歴史的仮名づかいと音便 歴史的仮名づかいで現代文を書こう 簡単に覚えられる歴史的仮名づかい

次は雅号についてお話しましょう。 俳句へのサイン、実名を書かれていますでしょうか? チョッと洒落て雅号がつけられると、形がつきますね。 考えてみましょう。

俳人が雅号を持ったのは戦前までで、昭和2・30年代以降になると本名らしく思わせるような雅号らしくない雅号になってきた。 「義男」という人が、「義生」「良生」「余志緒」を雅号にするといった具合である。 この著者は、湘南生まれなので、男性であるのに湘子としている。戦前風、少々古い雅号のつけ方である。 

女性の俳句作家は急激に増えているが、雅号をつける人が少なく自分の名前を押し通してしまう。 歳時記の例句収集に困るが、その傾向は続いている。 現代の俳句会を代表する三女流は 細見綾子、桂信子、野沢節子と自分の実名を使っています。 綾子、信子、節子だけで、俳句を発表する人もいますので、錯綜してしまいます。 女性も雅号を使うとよろしいのですが・・・

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